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ストレス

ストレスって何?

ストレスの天敵は自分の感じ方だったり考え方だったりする

「ストレスって何だろう?」 あまりにも漠然としすぎていて掴みどころがない言葉。 肉体のストレスは、筋肉疲労とかの蓄積によって生まれる疲れ。 精神のストレスは、心が傷つくこと。 適度なストレスは、集中力を生み、前向きにしてくれる要素とよく言われるけれど、過度なストレスは、肉体的にも精神的にも病んでしまう。


私の場合の「ストレス」は、仕事だ。 過度にストレスを受けていると毎日感じる。心が病み、何も楽しく感じない時がほとんど。食べ物もおいしく感じれないから、栄養補給的な役割。睡眠はいつも不十分で、寝れない日々も多く、やっと寝れても起きた時に非常に疲れた状態のうえ、怒っている。


きっと仕事の夢でも見て戦っているのだと思う。それでも毎日頑張って仕事に向かう。こんなの大したことじゃない。みんな頑張っている。働かなければならない。生きる上で必要不可欠なこと。私ごときのストレスなんて・・・。


「本当にそうだろうか?」と最近よく思う。 嫌だ嫌だ嫌だ。と思うほどにストレスが加速する。もう無理。限界。最悪。疲れた。もうヤバイ。発する言葉がストレスを加速させる。 聞いている方もうんざりだ。他人の言葉だったら絶対聞きたくないね。だって疲れちゃう。


人が聞きたくない言葉を自分は自分に向けて発している。嫌だ。無理。限界・・・。 囚われないだろうか?自己暗示させてはいないだろうか? 嫌なものは確かに嫌だ。 けれども、そんなに嫌だろうか?他の考え方に転嫁できないだろうか?とよく考える。


出来なかった。➡できた。に変えることができれば、ストレスも徐々に減っていく。自分の考え方を展開できる力が。嫌だと思ってしまうその考え方がストレスの天敵であると感じる。


年齢を重ねると、図太く、ずうずうしく、さっぱりしてくる。「年寄りはいいよな。」と言っていた頃には気づけなかった考え方を今、体感している。多くの人が、諦めた末に展開している行動や発言だったりするのかもしれないけれど、ストレスを受けないように自然と生み出してきた進化だとも思う。


嫌だ。嫌だ。嫌だ。 では、「どうするの?」辞めるの?どうするの?逃げるの?自分だけ。


逃げようとすると必死に道を閉ざすストレス。私は、今すぐにでも逃げたいのに。どうして解放してくれないの?どうして私の気持ちをわかってくれないの?どうすればいいの・・・。


ずっとそんなことばかり考えてきた。 脳は衰退し、疲れは加速。老化も加速し、ひどい顔だ。シミ、しわ、だらけ。頬はこけ、やつれ、「大丈夫?」とよく言われるようになる。もちろん心配の声ではない。優越感から発する言葉たち。私は大丈夫だけれど、あなたはひどいあり様ね。と言っているのだ。


本当に心配しているのなら「大丈夫?」などと気軽に声を掛けない。そんな些細な無責任発言に対しても私のストレスが増加してしまう。この場合は、どう考えたらいいのだろう?


「大丈夫だよ。あなたほど卑猥(ひわい)ではないから。」と心の中でスッと笑うのが正解かもしれない。人の言葉で自分が傷つくのは、全てなかったことにしたい。


仕事だってそうだ。 お前はダメな奴だ。バカだ。何でそんなことも分かんないんだ。いい加減にしろ。全てなかったことにしたい。空想の中でそんなことを思っても現実は何も変わらない。でも、自分の感じ方だけは、いくらでも変えることができる。


暴言ばかり吐く上司だったり、ウザかったり、とにかくうるさくても、「はい。はい。わかった(わからないけれど)。あなたの発言を聞いてあげているのは私なのよ。」と、スルー出来る「感じ方」を持てるようになるとずいぶんと気が楽になる。


ストレスを上手に受け取っていては、こちらの身が持たない。だから受け流す力が必要。ご機嫌を取る必要も、愛想を振りまく必要も、気構える必要もないのだから。 いつも通り。普段通りにふるまう。私が私であるためにとても必要な事。


仕事を失敗してもミスしても、全然できなくても、それが今の私。背伸びして「出来るのに・・・。」とか考えない。 ミスをした私が悪い。とか考えない。 何でそれくらいのことができないんだろう?とか悩まない。 出来ていないのが今の私。


だから、少しずつ出来るように頑張ることができるのが私。たったそれだけのこと。 ストレスの天敵は自分の感じ方だったり考え方だったりする。 明日は明日の風が吹く。引きずっていても何も進まない。 言うのはとても簡単だけれど、実際に行動に移すのはとても難しいと感じてしまう。 そもそもその考え方を変えていく必要が今の私には必要。


「今日も結局、大丈夫だった。」 そんな経験を増やしながら、今日も頑張ろう。


あじはた


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