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ストレスが仕事

仕事ノイローゼ?

日々仕事を頑張りすぎる私は「一体何がしたいのか?」

仕事をすることで収入を得ることができる。 収入を得なければ生活ができなくなってしまう。 だから、働く。 頑張って仕事に励むことは、大いに結構なことだけれど、 本当に「頑張る。」必要はあるのだろうか?


無駄に頑張りすぎてはいないだろうか? 仕事自体の結果が収入に反映されるなら頑張る必要はあるのかもしれない。 でも、別に頑張ったからといって収入が上がるわけではないのなら 「なぜ頑張っているの?」 どうして頑張ってしまうのか? 仕事だから?責任があるから?そういうものだから? 何か勘違いしてはいないだろうか?


小中校のマラソン大会でも同じことがいえるような気がする。 「どうして、頑張って走ってしまうのか?」 私は、マラソンが得意なわけでも好きなわけでもない。 一生懸命頑張って走っても順位は真ん中位。 それでも少しでも早く走ろうと息が苦しくても頑張ってしまう自分がいる。 無事ゴールまで走り終えた爽快感や達成感は、確かにすごく心地よく、 自分自身に打ち勝ったような、精神が強くなったような気もするし、 強い大人に育つために必要なことなのかもしれない。


でも、マラソンにはゴールがある。 そしてゴールにたどり着いた後は、ゆっくりと休むことができる。 「今の仕事はどうだろう?」 定年退職(年々伸びている)までずっと走り続けるなんてどうかしてる。


普通に考えれば、仕事を終え家に帰れば休むこともできるし、休日もある。 だから、休み休みの長距離走をしている感覚もある。 けれども、仕事のことが頭から離れずちゃんと休めていない私もいる。


毎日毎日精一杯頑張っても、ゆっくりとでも確実に歩んでいても同じ一日が過ぎる。 「自分のために頑張りたい。」 でも、今はそれができていない。 なぜだろう? どうしてだろう? どうして私は無意味に頑張ってしまうのだろうか? 会社のために・・・。 そんなアホみたいに会社に尽くす人がどれだけいるだろうか?


今まで頑張ってきた甲斐があり、それなりに生活をしてこれた。 でも、それ以上ではない。 私は、欲張りなのかもしれない。 どうしても自分の頑張りを評価してほしいし、 見合う収入が欲しい。 もっと余裕のある心が欲しい。 24時間365日。会社のことを考えている。 だからだろうか? 私が一番頑張っている。そんな思い込みから自ら仕事を欲しているかのようにも感じる。


過剰摂取を繰り返す「仕事ノイローゼ。」 私は、どうかしている。 わかってはいるけれどどうにもできない。どうしていいのかわからない。 仕事をシャットダウンしようと思っても、頭の中でリピートする雑念。 悪い思考ばかりが頭をよぎり、休まらない。


「日々仕事を頑張りすぎる私は、一体何がしたいのか?」 どこへ向かっているのかさえわからない。 何かを楽しむことも笑うことも出来なくなってきた頃にようやく気付いた。


ここにいては自分がダメになる。 仕事を頑張りすぎていると頑張ることが当たり前になってくる。 だから、体調が悪くても、精神的につらく苦しくても頑張らないといけないと思い込む。 そう自分の立ち位置を決めてしまっている。


自分で作り上げてきた成果が自分を追い詰める。 どこにも逃げ場がなくなり、救いの手を伸ばせなくなってしまう。


「もうどうでもいい。」


考えるのを放棄している私がいることに気付いた時、退職を決意した。 今度は、本当の自分を取り戻すために。 人生を豊かなものにするために。 家族と共に幸せな日々を送るために頑張っていきたい。 頑張りすぎる自分に終止符をうち、 これからを楽しんでいきたい。


大丈夫だよ。 もう道は切り開いた。 私ならできる。頑張れ私!



あじはた