未来予知
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未来予知
「これから嫌なことが起こる・・・。」
何かにつけてこう思ってないだろうか。 嫌なことが次々に起こり、想像していた通りの結果に落胆する。 「どうしてこんなに頑張っているのに。」 嘆かずにはいられない。 ましてや、自分が想像していたよりも、もっと劣悪な状況に追い込まれた時、 「最悪だ。こんなはずじゃなかった。」 自分を憐れみ、蔑み、なんて力のない無力な自分だと情けなくなる。 と同時に、もっとできるはず、やれるはず、優秀なはずだ。 と、真逆の思考回路。
頑張ることに、頑張れることに自らを奮い立たせ、嫌なことに向かって突き進む。 どこまで行っても悪路だ。 端から見ると、まさに「預言者」。 未来予知ができる優秀な人材のようにも見える。 本当にこんなことができるなら、小っちゃいことで悩んでいないと思う。 では、なぜこんなまねが出来るのだろう? もしかしたら、自分が呼び寄せている負の暗示ではないだろうか。
くぎを刺す言葉。 呪いの言葉。 自己否定。 「自己暗示。」 今になってようやく分かることだけれど、自らの力で「嫌なこと」に向かってしまっている。 人は、気になる情報を吸い取る力がある。 全く気にならない言葉は、拾い上げず、気になることは、無意識に聞き入れ、取り入れようとする。
何気なく流れているテレビ、人の言葉、雑談、音声。 見る景色も違ってくる。 同じように見ていても、まるで目に入らないこともたくさんある。 自分が置かれている状況によって、まるで別世界だ。 こう考えると、何だか楽しくなってこないだろうか?
同じように歩いていても、歩く速度も、歩き方も、感じ方も変わる世界。 答えは、自分の中にあるとずっと思っている。 「これから嫌なことが起こるという思い込み」 も考え方は同じだと思う。 嫌な事へ、嫌な方向へ、嫌な考えへ、自らを進めていると、そう思う。 とはいえ、当の本人は、そんなこといくら言われようとも取り入れない。 取り入れられない。余裕がない。「そんなこと。」と考えるから、内容の10%も聞き入れない。 記憶の片隅にも置かれないから、思い出せないし、変えられない。
毎日、何と戦っているのだろうか? 置かれた状況は、自分が選んだ道。 ごく稀に、決められた人生しかない人もいるけれど、 ほとんどの人は、 生まれた時に決まってはいても、大人になるにつれ、それぞれの道を選んでいるはずだ。 選ばされたにしても、結局は、自ら進んでいることには変わりない。
小さな子供の場合は、親の助けがないと「選ぶ権利」を得られない。 なので、どうしても変えられないこともたくさんある。 けれど、今はどうだろうか? 自分で選んでいるはずなのに、不満が付いて回る。 「本当はこんなはずじゃなかった・・・。」 と嘆くばかりだろうか。
今から、違う道へ進もうとは考えられないだろうか。 人生は君が思っているよりもずっと短い。 その時、その瞬間を手放してしまえば、間際にきっと後悔する。 あの時、こうしておけば。あの時、あの時、あの時・・・。 後悔の念にさらされ、今を生き続ける。 年老いては、物理的に出来ないことが加速度的に増加する。 「では、いつ行動するの?」
何でも自分の好きなように、思うように行動しなさい。と言っているわけではない。 ただ、あまりにも情けない姿をしているようなら、きっと君には違う道を選択肢に入れる価値があると思う。 嫌だ。嫌だ。と嘆いていても何も変わらない。
ただ、一歩踏み出すのが怖くてたまらないかもしれない。 今のこの現状を変えてしまうのだから、怖くて当然かもしれない。 でも、新しいことに次々と踏み出している人は、そんなこと微塵も考えていない。 どう行動すれば。どこに行けば。どうしたいかだ。 どちらを選ぶかは君次第。 物事の考え方が根本的に違うだけで、大差ないと私は思う。
嫌なことに没頭し、みそ漬けになる前に、どうにかできるだろうか? 「嫌なことはそうそう起きない。」みたいな言葉をよく聞くけれど、 私は、そうは思わない。
現実的体感として、嫌なことを次々に連発して当てることも確かにある。 ある意味、未来予知能力があるとも思う。 これは、自分の頭の中で思考の処理が行われるがために、当然のように起きる。
自分が進みたい方向へ(この場合は、嫌な方へ)、選んで進んでいるのだから、当然といえば当然である。 他人が絡んでいると思うが、これも同様。 よく観察し、相手のことが分かっているから、引き当てる。 もしくは、自らが誘発していることも考えられる。 理屈ではない。 感覚の話。
人は近づくと逃げてしまう。動物的反射。 ただ、人は、コミュニケーションを図ろうと何かしらの努力をするから、 欠落していく。
合わない人は、とことん合わない。 合わないのに、嫌なのに、嫌いなのに、話しかけられる。 ズレが生じ、相手の反応、行動パターン、発言に耳を傾ける。 脳が取り入れ、防御反応を示す。 こう考えると、未来予知もまんざらでもないと私は思う。
これから嫌なことが起こるという思い込みや概念を貫き通すのか、 物の見方を変え、場所を変え、風景を景色を一変させようとするのか選ぶことはできないだろうか?
できれば、そのために頑張りたい。 無駄に頑張り、自分の中に罪悪感や焦燥感を覚えるなら、新しい価値を見出すために頑張りたい。 共に頑張ろう。応援している。
あじはた