-- 心弾む感覚を取り戻したい --

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幸せブログ

「幸せな感覚」。

幸せな「感覚」を逃したくない

「幸せな感覚」。今までそんなこと考えたことがなかった。 ただ、幸せになりたくて。 ただ、願うだけで。 本当に得たかったのか?とさえ疑問に思う。


そこにあるはずの確かな幸せを軽々と素通りし、先の未来の幸せを求めて突き進んでいた。 そんな気がする。


「今が幸せでも仕方がない。」 いつも思ってきた。 だから、自分にできることをとにかく突き進んだ。 でも、結果として、良い方向へは向かわず、ただ、自分を陥れるだけの結果。 不満が増え、後悔が増え、情けない感情ばかり。 そんな自分が嫌になり、八つ当たりを繰り返す。


「幸せ」は、普通に転がっている。 ただ、その幸せを掬い取れるだけの視点や思考、余裕がない。 余裕を持たないから幸せが逃げていく。 「自分には、余裕がない。」 そう思い込むことで、ますます悪化。 逃げ場のない感情が自分自身を追い詰め、苦しめる。


皆が笑っている。笑えるということは、そこに幸せな感覚や余裕がある。 でも、私は、笑えない。 嘘笑いさえ、頬が引きつり、自分の顔に嫌悪感を感じてしまう。 その場から逃げるように、理由を付け、一目散に家へ帰る。


自分は、皆とは違う。 そう思っていた部分も大きい。 背負っていた荷物が、大きすぎてどうすればいいのか?わからない。 とにかく結果を得なければ。と必死だった。


今になって思い起こすと、そんな必死な状況の時でさえ、幸せはあったと思い出す。 次へ次へと、進んでいかなければ、結果に到達しないとわかっていたから、軽々と無視してきたけれど、確かにあった。 異常なまでに幸せを手放してきたと、今頃になって気付いた。


後悔は、先にやってはこない。 いくら、そうなると分かっていても、なるまでわからない。 今、やるべきことは、それじゃない。 そう思い込むことで、自らをシャットダウン。 幸せとは、ほど遠いところへと運んでしまう。


環境を変えると、面白いほど見方が変わる。 「心弾む感覚」がずっと欲しかった。 でも、環境がそうはさせてくれない。面白いこと。楽しいことに人生を費やしたい。 そんな当たり前の思考が欠落していたと思う。 好きなことに夢中になれる自分。 想像しただけでワクワクしてくるけれど、できないと諦めてしまっていた。


今すべきことはそれじゃない。 頭の中で、連呼する呪いの暗示。 叫び続けて20年以上経ってしまった。 人生の後半になって、ようやく気付けたこと。 今までが、間違っていたとまでは、思わないけれど、もっと幸せを感じたかったという後悔はある。


今は、大きく環境を変えることができたおかげで、幸せについて考える余裕ができた。 人生を目の前にしたときに、幸せを感じていたい。 すぐそこにある幸せを大事に感じて、大切な気持ちをもって記憶に残していきたい。 自分の頭の中を幸せで満たしていきたい。


つらく、嫌な記憶ばかりが先行してしまう以前の私から、新たな自分へ自主的に移行していきたい。 アップデートに意識を集中することで、嫌な記憶を置き去りにしていきたい。 1日は、すぐに終わってしまう。


だから、つまらないことよりも、幸せな自分を自分の中から取り出し、思い出し、日々の幸せをしっかりと感じながら、楽しんでいきたい。 もうおじさんだけれど、やっとそう思えるようになった。 「幸せな「感覚」を逃したくない」 そのために、日々を頑張ろう!



あじはた