つまらない余裕。
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つまらない余裕。
「つまらない。つまらない。」よく子供が口にしている言葉。 何気ない言葉だけれど今の私には、つまらないとさえ思う心の余裕がない。 どうしてこれほどまでに余裕が持てないのか?
気付けば、仕事をするようになってから「つまらない」のは当たり前で、 やるべきことをしっかりとやることが全て。 嫌なことも苦しいことも、とにかく頑張ってやる。 理不尽でも怒鳴られてもうまく対応することが務め。
子供のために家族のために、とにかく頑張って走り続ける。 ふと気づけば、私はもう40歳を過ぎているし、もうクタクタにくたびれている。 身体は、あちこちで異変をきたし、心は廃れてしまった。
つまらないと感じることは、楽しいことが期待できると思っているからだと思う。 楽しいことや面白いと感じる時間を待っている間。 かつ、今すべきことが特にない状況のときにつまらないと感じるのではないだろうか?
そうだとすると今の私には、すべきことがないことがない。 したくなくてもつい仕事のことを考えてしまっているし、やるべきことがたくさんある。 だから、時間があっても仕事に追われ、違う意味のつまらない人生を送っている。
私が欲しいのは、若かれし頃に感じたつまらないと感じることができる心の余裕。 楽しいことがたくさんあり、今を楽しめる心の余裕。 友達とくだらない話をしたり、バカげたことを平気でやってのける心の豊かさ。 ひょんな一言でも笑いに変えたり、楽しい話題へとすり替えるセンス。
私は、それほど話す方ではないけれど、そんな心の余裕を昔は持っていたと思う。 お腹が苦しくて息もできないほどバカ笑いをしたこともたくさんあった。 けれど、今はない。 いつからなくなってしまったのか?
大人になり気付いた時には、なりたくない大人になっていた。 嫌なことがあれば、家族に八つ当たり。 一言でも気に入らなければ怒鳴り散らし怒り出す。 楽しい話題についていけず、一人で大変だと思い込む。 「そんな余裕などない。」が口癖。
本当は必要であるはずの余裕を自分から声に出して失ってしまっている。 自分には余裕がないことを宣言しているのだから欲しくても手に入らないだろう。 とはいえ、気付いても手に入らない。
いや、気付くことで自分を変えることができる。 余裕は、自分自身で生み出すもの。 時間に追われ時間に蝕まれる意識を変えることができるのもまた自分。 「今の私には、余裕がある。」 そうありたい。 辛くて苦しい時には、全く想像もできない。 でも、そうなりたい。 声に出してそう叫びたい。 思うことで自分を変えることができるなら良い方向へ考えていきたい。
今は、嫌なことばかり考えてしまうけれどそんな自分は嫌だ。 このままつまらない人生で終えてしまうくらいなら大きな決断も必要だ。 先のことはわからないし、自分が思っているようなことにはならないかもしれない。 違う道に進んだら後悔が残るかもしれない。 けれども、今こうしている自分が本当に嫌だ。
未来の幸運が勝手に訪れるのをただ待っているだけの運頼みでどうにかなるのであれば、 今の私は終わっている。 自分がどうしたいか?どうありたいのか?を運任せにするつもり?
人生の終わり間近になって私には運がなかった。とでも言いたいのだろうか? 辛く苦しいことにばかり目を向け、大きな不安を自分自身で駆り立てている今の私では、 「今の私には、余裕がある。」と叫べない。
つまらないと感じるほどに心の余裕を持つためには、 腹の底から楽しいと感じることに目を向ける必要がある。 今の私にそんなことあるか? と一瞬考えてしまうけれど追い求めたいし、実現させたい。
人は心の底から笑うことで豊かになれると思う。 笑えない今の私では、 遠い先の未来の話になるかもしれないけれど、子供のころの気持ちを取り戻していきたい。 大人なのだから、できないことではないはずだ。 もっと自由な発想と思考に面白みを見出していきたい。 頑張れ私!
あじはた