気持ちを歩こう!
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気持ちを歩こう!
焦ったり、急いだり、急かされたり、不安だったり、苦しかったりすると、 自分の気持ちがどこかへ行ってしまう。 意図しない方向へ、進んでしまい、苦しめる。 自分を正しく持ち、嫌な方へは、決して行かない決断ができればいいのだけれど、 なかなかそうもいかない。
一度、気持ちが不安定になってしまうと、回復するまでにかなりの時間を要する。 嫌な方へ、嫌な方へ、と自分を運ぶ姿は、自ら選んで進んでいるようでもある。 本当は、そっちに行きたくないのに、進んでしまう。 魅惑の迷路だったなら良かったかもしれない。
けれども、私が進んでしまっているのは、不正解だらけのいばらの道。 何が正しくて、何が間違っているのか? 自分では、なかなか気付けない。 結果論に過ぎないその道は、果たして合っているのだろうか? そんなことをいつも考えてしまう。
行き当たりばったりでは、後悔が残る。 今まで、あまり後悔してこなかったけれど、歳を追うごとに「後悔」がにじみ出てくるように感じる。 自分の気持ちは、自分次第。 どうとでもなるともいえる。 受けなければ、苦にならないし、気にしなければ、嫌でもない。 真に受けてしまうから、真剣に話を聞き入れてしまうから、つらい。
自分が悪い。そう思わざるを得ない。 それでも、自分の気持ちを和らげてあげたい。とよく思う。 何をすれば、落ち着けるのか? どうすれば、余裕を持てるのか? 日々考えてきた。
いつも急いでばかりいる私だけれど、時に気持ちがゆったりとしている時がある。 具合が悪かったり、何もしなくていい状況の時。 自分の気持ちが、急いでいない。ゆっくりとした時間を感じることができる。 あまりないことだけれど、確かにある。 私はずっと、早くすればそこにたどり着けると思っていた。 けれど、どうやらそれは間違っていた。
早くするとは、気持ちが揺らいでいる。焦っているともいえる。 だから、心が離れていく。 一日が早く過ぎ去ってしまうし、満足感を得る感覚を見逃してしまう。 逆に、ゆっくりと生活すると、時間が長く感じるようになる。 なかなか落ち着けないから、そこへ到達できなかったけれど、 踏み出す一歩を半分に。 進む速度を三分の一に落とすように心がけることで、時間軸が変わっていく。
全てにおいては、難しいから、隙を見て行動に移す。 すると、次第に心が歩いて行くのを感じることができる。 心が歩いていると、穏やかな気持ちがふわっと現れる。 読書やコーヒーだって余裕でこなせるようになる。
「そんな時間ない。」 ずっとそう思ってきた。単純に数字が書かれた時間だけを考え、後、何時間あるのか? 何分後には、あれをして、これをして、その次は、こうして、ああして・・・。 そんなことをいつも考えていると、時間軸が著しく早くなり、あっという間に年月だけが経過してしまう。 若い時は、そんなこといつも考えてはいなかった。 今を楽しく感じることができたし、明日や今週末を楽しみに変えることができていた。
大人になるとできない? 背負うものが大きすぎて、がんじがらめの中をやみくもにもがき、苦しむ。 過ぎ去る時間だけをカウントし、脳内時間を早めてしまう。 若い時は、気付けなかったその感覚も、年齢とともに、それではダメだと気づいた。
おじいちゃんやおばあちゃんは、何をするにもゆっくりと動く人が多い。 そばにいるとこちらまで、ゆっくりとした時間を得ることができるし、 そうなりたいとさえ願う。 今の私は、生き急ぎ過ぎている。 気持ちが交通渋滞なのに、崖に向かう。そうなりたくはないのに、向かってしまう。
「誰かに操作されているのではなかろうか?」 不思議なほど他人事だ。 気持ちが不十分なうえ、歩くこともままならない。 答えは、自分の中にあるのに、決してそこにたどり着こうとしない。 気持ちを歩かせるだけで、穏やかになるのに・・・。
つい、急いでしまう。 つい、乱されてしまう。 穏やかに過ごすためには、気持ちを歩かせることが大事なのに、 つい、振り回されてしまう。
「ちゃんと聞いてるの?」 受け流すには、そのくらいでちょうどいい。 穏やかな気持ちを取り戻すために、気持ちを歩かせよう。
そのために頑張ろう。
あじはた